光と影24
吉原の遊女が葬られたのは今戸の正憶院、
土手の道哲と称された西方寺とこの浄閑寺
前2者は移転し浄閑寺は同じ場所にある
投げ込み寺の名は安政江戸地震前からあり
吉原から早桶が出るとこの三寺に運ばれ
あらかじめ掘られた穴に投げ込むように
葬られ埋められた様を以てそう呼ばれた
浄閑寺には1743年より現在に続く過去帳があり
最初の6冊分が江戸から明治にあたり
吉原遊女と深川、麻布の岡場所の売女達について記載されている
それらについては古本の『くるわ』に詳しい
これもamazonで買った
著者は当時東京教育大学助教授だった歴史学者の西山松之助氏
この本からの転載
浄閑寺過去帳
戒名の下に俗名や町名、妓楼の主人の名が記載され
それらから遊女のものと判別される
約一割の一般人が含まれている
左右に童女、童子の記載がある
右の童女の戒名には泡の字が入っており
左の童子の但し書きには水子?の文字があり
いずれも水子なのだろう
安政江戸地震の犠牲者については別冊があり
名前が判明した391名について記されている
その多くは吉原遊女である
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